2011年11月9日水曜日

Robotとロボット

ホンダのロボット「ASIMO」の新型が、走り回っているニュース映像を見ました。
そして、同時にお掃除ロボットの「ルンバ」がせっせと掃除をしている状況が目に浮かびました。

ルンバを開発したiRobot社CEO、Colin Angle氏のインタビュー記事に「ロボットに重要なのは実用性」と言うものがあった http://japan.cnet.com/interview/35010207/


私も、昔、ロボットが人の形をしている必要があるのだろうか?
こんな疑問を抱いた時がありました。

この疑問は、サイレントランニングという映画に出てくる「ヒューイ/デューイ/ルーイ」の3体のロボットを見た時に、これの方が現実的だと解決していました。






しかし、自分自身、何か釈然としません。
アトム世代のせいか、ロボットというものは人の形であるべきではないのか?その思いが頭の片隅にあります。



ロボットは、小説家カレル・チャペックが、1921年に発表した戯曲『R.U.R.』の中で使用したものが広まり、一般的に使用されるようになった。語源はチェコ語で「労働」を意味するrobotaとされていて、その着想はゴーレム伝説から来ているとされている。(Wikiより)


つまり、
「ロボットとは、人の労働の代わりをしてくれる『もの』であり、人に似ている」
という所からスタートしている。


ビジュアルとして有名なのが、1926年にドイツで制作された「メトロポリス」に登場する「マリア」
この印象が強く、ロボット=人の形となったのでしょう。




これが、お掃除ロボットで有名なiRpbot社のロボットです。福島原発事故でも有名になりました。
人のカタチをする必要は無く、「必要な機能を果たすために最適な形」をしています。




ホンダのASIMOは人間の形をして、人間のように振る舞う事を目的にして、まだ開発途上です。



人は地球環境に適した体のカタチを遺伝的に選択してきているという事実があります。
したがって、「人の労働の代わりをする」という意味で、万能なロボットを作ろうとすると、「人が進化の過程で選択した体のカタチ」を結果的に選ばざる終えなくなるのではないか?。

しかし、目的を限定すれば、ルンバなどiRobot社のカタチでいいのです。


したがって、「ロボット」と言えるのは、ASIMOやC3POであり、iRobot社が作っている製品、ヒューイ・デューイ・ルーイ、R2D2は、「道具」といえるのでしょう。

この予想は、遠い将来結果が出るでしょう。
ただ、間違いなく言えるのは、その時のロボット史に「ASIMO」の名前は深く刻まれていると言う事です。




おまけ、

iRobotのロボットは素晴らしいが、やはり「ラジコンガジェット的」であり、道具である。
たぶん商品的に、ラジコンと言うより、ロボットと呼んだ方が10倍の値段で売れるというマーケティング戦略かもしれない。